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中小企業と真田丸~今年の大河を振り返る~

公開日: : 最終更新日:2016/12/29 リーダーとかチームとか, 真田丸

おはようございます^^
レンタル什器屋二代目社長で展示会活用アドバイザーの大島節子です。

今年最後の月曜日です。ということは、このテーマで書くしかないでしょう!

小さな家≒中小零細企業~父と子・兄と弟~

昨日は1年ぶりの真田丸がない日曜日。そんな夜に今年書いてきた真田丸ブログを全て読み返してみました。そうすることで改めて見えてきたこともあるので、今日は今年の大河ドラマ真田丸を振り返るまとめブログを書きたいと思います。

このブログは仕事のブログであり、基本的には展示会のことを書くためにあるブログなのですが、そんなブログに毎週真田丸のことを書き続けてきた理由はマルワ什器は真田丸の跡地と言われる場所にあり、私はその場所で生まれ育ってきたから。この先地元がこんなにも取り上げられることはないであろうと記念に書き残しておこうと思ったからです。

序盤はすごく中小企業との共通点に共感しながら見ていました。武田家という親会社がなくなり生き残りをかけて奮闘する中小零細企業=真田家という構図です。時代に翻弄されながら小さい家の次男として自分がやるべきことを探しながら成長していく信繁。私は一番子なのでどちらかというと“面白くない”と言われる長男信幸のほうにより共感していました。

父である真田昌幸と信繁はよく似ていますが、ドラマで語られることはありませんでしたが、昌幸も一番子ではないんですよね。三男なんです。だから長男特有の生真面目さや気負いがないのでしょう。

私は過去の「真田太平記」出の歴女なので昌幸役を草刈正雄が演じると知ったときはそれは嬉しかったです。初回から7話までかっこいいいなー!と思いながら見ていました。今回、丁寧に今年の真田丸ブログを振り返ってみたところ、私の昌幸への感想は8話以降「ちょっと嫌い」→「別に偉大じゃない」→「最低なパパ」→「自分のことしか考えてない父親」と、どんどん酷くなっていってて笑いました(笑)。

一貫してつかみどころがないキャラクターだったのでずっとこの親父なにがしたいねん!と苛立ってたのですが、最後の言葉が「御屋形様~!」だったことで武田信玄への思いを貫いていただけだったのだな、と納得できました。長篠の戦で織田・徳川連合軍として武田家を滅ぼした徳川の下につくのだけは絶対にイヤだったのだな、ということがわかりました。

父のやり方に疑問をもった時期を過ぎ、やがて信繁も父と同じ生き方を選ぶことになっていきます。それには上杉家への人質時代が深く関係しているように思いました。景勝から“義”を学ぶ一方、一途に尊敬していた人も深く親しくなってみると案外ダメなところがあったりする。そういうところも含めてそれでも好きな自分に気付く。そういう経験を経て親に完璧さを求めなくなっていくんですね。そんな時期が皆あります。

そして第一次・第二次上田合戦では小さいからできるやり方で家族で力を合わせて徳川に勝利します。大阪冬の陣も同じでしたね。中小企業がやったことない仕事をするときとの共通点を感じました。

この時代“東”はどうなっていたか

他に今年の大河でおもしろかったのが前半での室賀、出浦など知らない武将たちの登場でした。来年の大河でははこの少し前、桶狭間の戦(1560年)の8年後に滅亡した今川家や武田家(1582年滅亡)が描かれるはず。来年は毎週ブログを書くことはありませんが、イチ大河ファンとして楽しみにしています。

当初思っていた4つの章立て

この表は10話を見たあとに全体像を把握したくて作った図です。10話の時点では3月なので全体の4分の1くらいが終わったところ。私の予想ではこの先こんな感じで進んでいくんじゃないかなーと予想していました。結果は予想外に大坂編が長く九度山は短かったですね(笑)。

上杉景勝から“義”を学んだ信繁は大坂で武将らと信頼関係を築いていき、それが大坂の陣への決断に繋がるのだと期待していました。ただ、大坂編での信繁は主役ではなく歴史の傍観者的立ち位置でした。なので、晩年の信繁の決断にしてもあれを“義”で語ろうとするとき「それは一体何に対しての“義”なんですかね?」という疑問がぬぐえませんでした。でも赤揃え等から察するに信繁が貫こうとしたのは父親から受け継いだ武田信玄への“義”だったのですね? そう思うとようやく全てが腑に落ちます。

正直、私は石田三成への義→関ヶ原での決断秀吉への義→大坂の陣へ向けての決断伊達政宗への義→妻子を預ける、と繋がることを期待していたので、大坂編の期間ずっとモヤモヤしてた記録がこのブログにきっちりと残っています(笑)。武田信玄への義を貫くならもうちょっと要所要所に武田を出してこなアカンやろ、と思うのですがこれはあくまでも私の個人的な感想です。

信繁自身の主従や友情において確固たる信頼関係をイマイチ感じられず、父と子という関係においても今ひとつ本当に信じあっているのか最後までよくわかりませんでしたが、兄と弟の信頼関係だけは最初から最後まで一貫していました。2人の関係が“義”なのかどうかはよくわかりませんが、すごくいい関係の兄弟でしたね。

そして最後!あの終わり方はもしかしたら200年のときを経て真田幸村は佐久間象山に生まれ変わったの?という感じでしたね。そして悲願の徳川幕府倒幕を成し遂げるきっかけとなる、と。ようやく御屋形様=信玄公への義を果たす、という。なんと壮大な大河なんだ!!

最後に今年1年かけて作ってきた年表を2つアップしておきます。私の趣味は年表を書くことで小説を読むときなどもよくエクセルで年表を作ります。これはこのブログを書くために自分の頭を整理するためにまとめてきた年表なので誤字などあってもお許しくださいませ。

真田丸年表 回数順
真田丸年表 年代順

まとめ

さてさて随分と長くなってしまいましたが、2017年毎週月曜日に書いてきた真田丸ブログはこれで最終回です。この先ここまで精魂込めて大河ドラマに見入ることはたぶんないと思います。私にとっても大変思い入れ深い1年になりました。

1年間お付き合いいただきありがとうございました。

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大島節子

代表取締役(有)マルワ什器
1975年 大阪市生まれ。 1998年家業マルワ什器入社。2001年、26歳のときに売上の95%以上を占める得意先が倒産する、という人生の試練を経験。連鎖倒産の危機を回避し家業を立て直す過程で多くの展示会現場に携わる。現在、什器レンタル屋二代目社長として、また2012年からは展示会活用アドバイザーとしても活動中。

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